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沿革

■国内の芸術文化の集積を目指し朝日山陶芸研究所を創設

​1959年、下中彌三郎氏が国内の芸術文化の集積を目指し鎌倉市鎌倉山から横浜市戸塚区平戸町朝日山に窯を移し朝日山陶芸研究所彌三郎窯を創設。窯場の責任者には北鎌倉魯山人星岡窯で長年にわたり責任者を務めた松島宏明氏が就任。窯場は武者小路実篤氏、川端康成氏をはじめ文学・芸術・芸能界・歌舞伎界から著名人が集まり陶芸を楽しむ芸術サロンとして発展。

『心』同人陶芸展

1963年(昭和38年)、日本橋三越にて『心』同人陶芸展開催。武者小路実篤氏をはじめ安倍能成、井伏鱒二、大内兵衛、奥村土牛、川田順、窪田空穂、熊谷守一、小宮豊隆、佐藤春夫、里見弴、瀧井孝作、谷川徹三、中川一政、前田青邨氏らが、彌三郎窯に集って大皿、花瓶などに絵付けして出品し盛況であった。その後この陶芸展は昭和42年、44年、46年にも開催され好評を博した。

※以下、絵付けの例として同人誌「心」より抜粋。

松島宏明 (1898-1982)

陶芸家。金沢工業試験場等勤務を経て、父松島小太郎※より北鎌倉魯山人星岡窯(注1)に招聘される。その後30年にわたり北大路魯山人の片腕として窯の運営責任を担う。魯山人星岡窯退職後、鎌倉山の中野一水窯を経て、下中彌三郎翁より朝日山陶芸研究所彌三郎窯の責任者として招聘される。元神奈川県陶芸作家協会会長。石川県若杉町出身。

※ 松島小太郎 (1872-1945):金沢工業学校窯業科教員を経て、九谷焼の陶芸家・初代須田青華等に推され北大路魯山人が計画する北鎌倉の星岡窯築窯に陶工として参加。その後高松窯業試験場に指導員として赴任。晩年は故郷石川県若杉町に戻り若杉窯再興(注2)に向け陶業に専心。石川県若杉町出身。

下中 彌三郎(1878~1961)
平凡社創業者、出版実業家、教育家。「日本書籍出版協会」初代会長。丹波にて家業を継ぎ陶工に従事、16歳で横座(監督指導者)となる。その後、天賦の才と目的意識の明確さから教育界に入って国語教育指導者になり、平凡社を創設し事典の平凡社として確固たる礎を築く。兵庫県多紀郡出身。 出典:「下中彌三郎辞典」​

■新時代の幕開け―ASAHIYAMA ARTとして国際的・学際的な展開へ

2012年、朝日山陶芸研究所から朝日山陶芸に改称、次の50年に向けて国際的な芸術文化の集積を目指す。その一環として 顧問に豊福誠氏 [東京藝術大教授]、主任に山本裕里子氏[東京藝術大OB]を迎える。2013年、次世代への美と技の継承を図るために、歴史と芸術の街である北鎌倉にアート工房を開設、同時にブランド"RICOCHET"を創設。主宰に山本裕里子氏、アドバイザーにPatrick Audevard氏 [仏国立リモージュ芸術大教授] が就任。

2018年、芸術全般を学際的アプローチで国際的に展開していくことを目指しASAHIYAMA ARTとして活動を開始。

豊福 誠

東京藝術大学大学院陶芸専攻修了。藤本能道、田村耕一、浅野陽らに師事。現、東京藝術大学美術学部教授。

山本 裕里子

東京藝術大学大学院陶芸専攻修了。同大学研究助手、仏国立リモージュ芸術大学勤務を経て、アトリエ&ギャラりーRicochet主宰。

AAtelier-Ricochet

Patrick AUDEVARD

陶芸家,画家,彫刻家。1957年生まれ。国立リモージュ芸術大学(E.N.S.A)とC.R.A.F.Tにて制作研究に従事。Galerie du Cauchau主宰。その他に、欧州, アジアなどでの展示をはじめ国際的アーティスト達との共同制作、銀座和光にて開催されるLimoges Boxes展示での実演参画など多岐にわたり活動。

ECOLE NATIONALE SUPERIEURE D'ART DE LIMOGES

ASAHIYAMA ART
60周年記念
​国際アートフェア出展

アムステルダム国際アートフェア2019

2019年8月30日-31日

BEURS VAN BERLAGE

(ブールス・ファン・ベルラー)

Asahiyama Art Gallery (Japan)

With artists:

Yuriko Yamamoto,  Patrick Audevard,

Hiroaki Matsushima.

私たちは「芸術は人間に強さと優しさを与えることができる貴重な存在」であると考えており、そのような自分たちは芸術を通して人間に強さと優しさを与えることができる透明な存在でありたいと願っています。
今回、私たちは、新時代の幕開けにおいて、60年の歴史を経て進化したアートグループとして活動できることを光栄に誇りに思うとともに、未知の創作活動にワクワクしています。
 
現在、私たちは、禅で有名な日本の鎌倉で、「余計なものをそぎ落とし、本質と向き合う」という禅の思想と共鳴しながら作品を制作しており、最近は、生きとし生けるものが持つ本質「強さと優しさ」に焦点をあてています。
このような考えのもと、森羅万象の本質と向き合う“ZEN oriented ARTS”として位置付けている私たちの作品によって、一人でも多くの方が日常の空間の中で「静寂とエネルギー」を感じとりすがすがしい気持ちになっていただくことを切に願っています。

今後、私たちは、そう遠くない時期に、人間のサピエンス(叡智)に焦点をあて、サピエンスがもたらす「愛おしさ、慈愛」をエキサイティングに表現していきたいと考えています。
60th ANNIVERSARY

(注1)北鎌倉魯山人星岡窯
1927年(昭和2年)北大路魯山人が宮永東山窯から荒川豊蔵を鎌倉山崎に招き、魯山人窯芸研究所・星岡窯(せいこうよう)を設立、本格的な作陶活動を開始する。1928年には日本橋三越にて「星岡窯魯山人陶磁器展」を開催する。「星岡窯」は総面積約七千坪( 約2.3ha)。窯場や母屋、仕事場のほか、数奇屋風茶室「夢境庵」や蒐集した古陶磁を展示する「古陶磁参考館」、迎賓用の「慶運閤」などが点在する。「臥龍峡」は山崎小学校建設時に開削され、前庭の水田は小学校のグラウンドになっている。母屋は笠間市に移築、古陶磁参考館は解体され、残っていた家屋は平成10 年に管理人の放火により焼失。残った私有地は非公開になっている。( 参照:「魯山人の世界」新潮社(1989 年)、「魯山人陶説」中央公論社(1992 年)) 

(注2)再興九谷 若杉窯

文化8年、能美郡若杉村の十村林八兵衛に招かれた本多貞吉が開いた窯。貞吉は隣村の花坂村で良質な陶石を発見しこれを若杉窯に使用した。この花坂村の陶石は現在も花坂陶石と呼ばれ、九谷焼の原石として使用されている。文化13年(1816)には、加賀藩は若杉窯を郡奉行の直接支配とし、名前も「若杉製陶所」とあらため 積極的に援助している。貞吉を職長とし、京都、平戸、信楽などから50名ほどの陶工が集められた。 加賀藩で最初に量産化に成功した窯がここである。

■九谷焼系の色絵磁器の技法  同技法に関わる主な陶芸家  ・富本 憲吉 1886-1963 ・加藤 土師萌 1900-1968  ・藤本 能道 1919-1992 等

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